唐湊にもあった両棒餅と平田屋の意外な関係

 
前述の鹿児島案内記【大正11(1922)年 堅山 春村著】には、磯以外の「ぢゃんぼ餠」の本場として唐湊があげられていた。戦後の鹿児島の習慣や風俗を記録した鹿児島風物志【昭和28(1953)年12月発行 鹿児島郷土会発行/宮武省三著】にも

「…この旬には、この里、慈眼寺前の茶屋では一口蛸と五文餅-双棒(ジャンボ)とも言ひ他国の團子に似て串二本をさしこんであり、磯の島津家別邸附近並に温泉所在の唐湊はこの双棒で名を知られてゐる-とを食べさすことが名物の一つとなってゐたが、私は離麑のときは最早大分影が薄くなってゐたやうである。…」

とあり、磯と谷山以外に地域として、唐湊が登場し、さらに唐湊が名物な理由として「温泉」があることが述べられている。現在の唐湊地区にも公衆浴場が営業されているが、ここで出てくる温泉はそれらとは別で、明治25年頃に元薩摩藩士で郡奉行などを務めた木脇啓四郎が発見したとされる唐湊温泉のことである。この唐湊温泉は、鹿児島市街地に近い温泉地として湯治客などを集客し、昭和50年代まで営業していた。場所は新川沿いであったが、現在はその痕跡を確認することはできない。

唐湊温泉はその後永田家が引き継ぎ旅館「永田旅館」が営まれた。温泉を買った永田家の孫にあたるのが現在の平田屋当主の妻・いずみさんである。旧姓永田いずみさんは、温泉経営の記憶だけでなく、温泉で「ぢゃんぼ餠」を提供していたという話は聞いていたという。ただ、「ぢゃんぼ餠」の提供に関しては過去形の話であったとして、温泉地として唐湊が隆盛を極めていた戦前のことであるようだ。

またいずみさんは旅館の隣に谷山の吉野家から嫁にきていた人がいて五文餅を造っていた、という話を聞いたとお話してくださった。ここで図らずも唐湊で何故両棒餅が売られていたかの謎が解けることになる。永田旅館でも両棒餅を出してはいたが、温泉を経営していたいずみさんの祖母は隣家と競争になるのを嫌い、あまり出したがらなかったという。温泉経営を継ぎ近年まで存命だったいずみさんの伯父さんも頭の中に両棒餅の材料の分量がきちんと入っているような人で、いずみさんの父親も父母が囲炉裏端で両棒餅の串を削っていた姿を覚えているよと話してくれたそうだ。こうした話も唐湊の両棒餅が戦前のひと時だけ活況を呈した様子を伝える書籍の記述と合致し、貴重な証言である。

仙巌園が磯庭園の名で昭和24年から8年間、鹿児島市営であったことがある。平田屋さんの先代は磯庭園の中でぢゃんぼ餅を出していた。平田屋のご主人が生まれた年、昭和27年のことである。いずみさんは子どもの頃に自身の父親と磯庭園に菊祭りを見に来てぢゃんぼ餅を食べ、その時にかつて自分の家もぢゃんぼを売っていたと教えてもらったそうである。

その時は後年自分がこの地のぢゃんぼ餅屋に嫁ぐとは思ってもみなかった、といずみさん。結婚が決まった時はそんな話もお互い知らずにご縁があったそうだが、鹿児島市における唐湊と磯というぢゃんぼ餠ゆかりの地が、このご夫婦の物語の中でもしっかりつながっている偶然を知り、「ぢゃんぼ餠」のご縁というものを感ぜずにはいられない。

両棒餅の年表

最後に、平田屋の天保6(1853)年からの両忘餅の歴史について年表にまとめました。

【両棒餅の年表を見る】

■ プロフィール



文 / 東川隆太郎

1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒業。NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。ガイドや講演を通じて地域の魅力を伝える活動を続ける。「かごしま神社探訪」(南日本新聞)など新聞、地域機関紙などに連載多数



写真 / 大庭学

広告写真全般撮影(雑誌・パンフレット、ポスター等印刷物、Web等、風景、料理、人物、建物等)を行う写真家。主に鹿児島県内の風景写真、年1回のフィリピンでの撮影がライフワーク。鹿児島銀行のカレンダー(2013)にて雄川の滝を一躍有名にした。2009-2010年、離島の風景を切り取った写真展「島景」を開催。2017年ZOOMS JAPAN2017ファイナリスト7名に選出される。

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